哲学の自然

哲学の自然 (atプラス叢書03)

哲学の自然 (atプラス叢書03)


中沢新一氏と國分功一郎氏の対談。

國分氏のブログやTwitterをリアルタイムで追いかけていた者にとって、こうして纏ったかたちで読めるのは有難い。


ハイデガーによる原発批判、原子力は自然からの贈与性を切り離す試みである点で愚かである、この指摘は重要と思う。


そこにイオニア的なピュシスの哲学の伏流を見出し、大きな議論に繋げていくくだりは読みごたえがある。


ただし、資本主義云々にまで話が及んでくると、ある種の既視感を感じざるを得ない。

資本主義にしても科学技術にしても、現代において遍く行き渡ることになったのはあくまでも適者生存的なプロセスによるのであって、企図して成ったものではない。

その意味では大状況的な外部環境が変わらない限り、マクロのパラダイムシフトは起こり得ないのではないか。

例えばそれは金融政策が意味を成さなくなるような本格的な低成長時代の到来であるが、思いのほか早く実現するとしても、当面先の話に思える。


一方で、マクロの状況が変わらないとしても、小平の住民投票の件のようにミクロのレベルでせめぎ合うことは可能かもしれず、そのようないわばパルチザン的な戦略を通じて同時代的な感性の変質を目論むといったところが現実的な線か。


後半で提示されたコホモロジーと喩の話や、離散無限的な世界を有限と無限が通底する関係に捉え返すアイディアは着想としては面白いが、いささか概念的に過ぎるし、いくつかの事例は適切でないと思った。


ともあれ、あまたある原発本のなかでもひときわビビッドでかつ真摯な手ざわりが爽やかな、示唆多き本でした。